女王蜂の王房

Webショートストーリー「寛大な征服と服従」

■前編

ここ最近、めのうの表情は曇りがちだった。

それもそのはず。
女王であるお母さまの死期が近いのだ。

心優しいめのうのことなので、
お母さまの容態がそれはそれは気がかりで仕方がないのだろう。

輝夜
「めのう、なにを見ているの」

鏡の前に座りぼんやりと一点を見つめているめのうの肩に、
そっと手を置きながら声をかける。

彼女は、はっと我に返ったかのようにびくりと肩を震わせた。

それから笑みをたたえ私を振り返る。
美しい花が咲きほころんだようなその儚く憂いを帯びた微笑みは、
見る者の心をとろりと蕩けさせてしまう。

めのう
「ごめんなさい、少しぼんやりしてしまって……。
なんでもないの」

どうして私にまで、そんな隠し事をするの。

強がるめのうが気に食わず、
彼女が手を添えていた小箱をさっとつかみ取ると、
彼女は小さくあっ、と声を漏らした。

輝夜
「これを眺めてなにを考え込んでいたの?
あなたの部屋へ私が会いに来ているというのに、
あなたは上の空で一体なにを考えていたのかしら」

めのう
「ん、あ……少し、昔のことを思い出していて……。
あのっ、ごめんなさい。
決して、輝夜のことをおざなりにしていたわけではないから。
輝夜がこうして部屋へ来てくれて、本当にうれしいから……」

めのうの、ややもたついた言い訳を聞きながら、
手に取った小箱を角度を変えつつ観察する。

宝石箱……だろうか?

そんな私の横顔を、めのうはじっと見つめながら、
少し前のめりになり再度口を開いた。

めのう
「ねえ、輝夜?
昔はこうして、堂々と部屋を行き来することなど
できなかったわよね。
昔とは違う……私たち、強くなったんだわ……!」

言いながら自分の言葉に興奮してしまったのか、
未だ幼子のような彼女の言動に、私はくすりと笑った。

輝夜
「当たり前よ、めのう。もうすぐ女王となるのだから。
自分よりも低い立場の者の意見など聞き入れる必要もない」

そう返答をしつつ、宝石箱とおぼしきものの蓋に手をかける。
まためのうが小さく声を漏らしたが、気にはせず蓋を開いた。

煌めく宝飾品たち。

めのうらしく可愛らしいデザインのものばかりだと感じていると、
その美しい石たちに囲まれた布きれに視線が止まった。

どこかで見たことがあると、記憶を巡らせかけ……
すぐにはたと気づく。

輝夜
「めのう、これ……」

めのう
「……ええ。輝夜がずっと昔に私にくれたものよ」

めのうは、はにかむように照れた様子で私に言った。

どくん……とくん、とくん、と……、
心臓の鼓動が速まっていくのを感じながら、
その、髪飾りに触れてみる。

布で作った髪飾りはくしゃりと柔らかく、
そして少しだけざらざらしていた。

こんな材質だっただろうか……?

わずかに首を傾げながら、宝石箱のなかより髪飾りを取り出す。

ふわりと鼻をかすめる甘く懐かしい香り……
それは、めのうと過ごした甘い甘い花畑の香り…………。

幼い頃の、記憶――。

************

幼く可愛らしいめのう。

国中の皆から愛される、
まさに王女にふさわしい容姿と性質を持ち合わせた
とても、とても愛くるしいめのう。

しかし……私がいなければなにもできない。

ほらこうして……、泣きやむことすらひとりではできないの。

しとしとと泣きながら、濡れた瞳をさまよわせては
すがるように私を見つめる庇護欲をそそるその姿に、
私は頬を緩めながらそっと口を開いた。

輝夜
「めのう。
そんなに先のことを案じて泣く必要などないわ。
本当にあなたは泣き虫ね」

めのう
「だって! 貴峰丸が言ったんだもの。
私と輝夜はこの先、女王の座を競い合って争うのだって……」

輝夜
「そうなるのなら宿命だわ」

めのう
「嫌っ! 私は嫌なの! 大好きな輝夜と喧嘩なんてしたくない」

私の洋服にしがみつき胸に顔を埋めてくるめのうの背を、
優しく抱き締めてやる。

ああ、本当にこの子はなにもできないのだなあと思うと、
ひどく優しくそしてひどく残酷な感情が
むくむくと膨らんでいくから不思議だった。

泣きじゃくるめのうの涙でブラウスが濡れていく。
それを私は幸福に思っている。

まるでめのうを支配しているようだと、そんなことを思っている。

けれども本当に支配しているわけではないことなど私は解っていて、
それでもなお苛立ちとともに求めている。

この子の心すべてを。

輝夜
「めのう。私もあなたが大好きだから、喧嘩などしないわ」

めのう
「……本当、に……?」

もっと支配したい。

もっと、欲しい……。

輝夜
「ええ、本当よ。
それとも時が来れば、あなたの方から仕掛けてくるのかしら」

めのう
「そんなことっ、私はしないわ……っ」

泣いているせいで鼻声になってしまった甘い声は、
いっそう甘く甘く蜜のように甘く、
私の胸元をしっとりと熱く重くしていく。

熱い吐息が胸にかかる。
熱い涙がじわじわと私の胸を濡らす。

輝夜
「ならば安心なさい、めのう。
こんなに泣き虫で可愛らしい子に、
手をかけたりなどするものですか……」

めのう
「手……をかけ……そうだわ。
殺し合う、のよね……?
私たち……本当は殺し合わなきゃならないのよね……?」

私の胸に顔を埋めたまま、震える声をめのうが発すると、
今度はその震えた吐息と言葉が
私の胸に噛みつくようで痛みを感じる。

輝夜
「私はあなたを殺さない。決して。
あなたが私を殺す時が来ても、私はあなたを殺さないわ」

ぎゅうときつく私の服をめのうが握り締める。
私はただ優しく、めのうの背を撫で続ける。

いつか殺し合わねばならない。
次期女王の座を競い合い、めのうとは殺し合わねばならない。

しかしながら私たちはきっと、そんなことなどできないだろう。

こんなにも互いを求め依存しているのだから、
そんな悲しいことが……できるはずもないだろう。

できなければどうなるのだろうか。

この国の未来はどうなるのだろうか。

そもそもが、そのように悲しいことをしなければ
引き継ぐことのできない世など、間違っているのではなかろうか。

めのう
「……私だって……輝夜を、殺すはずがない……っ」

やはり……やはり、突き刺さる……。

めのうの言葉はいつも、様々な色や形をまといながら、
そうしながらも絶えず私の心を突き刺し続ける。

そう……殺しては駄目。

私を殺しては駄目。
めのうを、殺しては駄目。

だってもっともっと支配したい。
もっともっと手に入れたい。

この、無垢で純潔のかたまりのような彼女のことを、
これまで以上にいっそう……欲しい。

恐怖もある。

支配していなければいつか討たれてしまうやもしれぬと、
そんな……恐怖もある。

私は醜い。

こんなにも美しく穢れなき王女を前にすれば私は……、
どこまでも醜く卑しい存在へと、成り果ててしまう……。

ああ……どうして私の心とめのうの心は、
こんなにも対極に在るのだろうか。

美しき者と醜き者。

めのうと……私…………。


――それからしばらく。

落ち着きを取り戻し始めためのうは、
泣きはらした顔をおずおずと上げ困ったように微笑んだ。

輝夜
「ねえ、めのう。
そんな悲しいことばかりを考えていてはつまらないわよ。
今度、あなたが元気になるように、
あなたへ髪飾りをこしらえてあげるわね」

めのう
「ん……ぐすっ……髪飾り……?」

輝夜
「ええ。めのうのために、ね?」

めのうのために……。

めのうのために……。

そう、めのうのために…………。

だってあなたを支配してあげなければ、
あなたはなにもできないじゃない。

だから私が、あなたの心を縛る呪いをかけた髪飾りを、
贈ってあげるの。

うれしいでしょう?

うれしいわよね……?

めのう
「輝夜……ありがとう!
それを楽しみに、元気になるわね……!」

まだ涙の乾ききらない瞳を細め、
めのうが優しく可憐な笑みを咲かせる。

じくじくと心の奥底が痛む。

心の奥底からじわじわと広がるこの痛みはきっと……、
やがて私の体を支配していくことだろう。

痛みを伴うこの計画を、それでも私は必ず遂行する。

彼女を、穢れることなく美しいまま守るためだと……、
自身にいいわけをしながらきっと…………。

呪いの髪飾りを、彼女に贈るのだ――。



[続く・・・]